匠才庵の考え方

 

沖縄が人々を惹きつけるのは、
沖縄には本質的な豊かさがあるからではないだろうか。
人と人との温かい関わり合い、
美しい自然、生活の中から生まれた歌や踊り。
かつてはどこにでもごく当たり前に存在した豊かさが、
沖縄では今なお息づいている。

映画「ナビィの恋」には、
沖縄の魅力が様々に描かれている。
さらにこの映画では、
沖縄の風土と建築に関してもうまく描写されている。
映画の中にある、家(住まい)の中から見た
アマハジを通してナー(中庭)に広がるシーンや、
ナーから見た開放された内部空間への視線の流れの中に、
外部と内部が一体化し、
悠久を感じさせるようなゆったりとした時間の
流れと心地よい風が家中に抜けていく様子を感じることができる。

ナーを中心とした日常の立ち居振る舞いの様子や
陽が落ちた後の月の光をあびながらの宴の様は、
外部空間が住空間の一部として機能していることが伺える。
亜熱帯の風土の中、
自然をうまく取り込み快適に住まう工夫として、
ナーは生まれた。
門の前にヒンプンを配し、
敷地外からの視線をさえぎることで、
ナーを外部でありながら内部の位置づけにし、
夏の季節風を家の内部に取り込み涼を求めた。
沖縄の人々は暑さをしのぐ工夫として、
外部での生活を楽しんでいたのだ!!

さらに、
集落まで視点を広げてみると
マチヤグヮー(商店)の存在がある。
マチヤグヮーの前には大きなガジュマルがあり、木陰を作っている。
涼を求め、人々は自然に集まり、情報交換をする。
子供たちはその周りで遊び始める。

小さな村単位の社会の中で、
マチヤグヮーは村の全ての情報を持った
コミュニティーの核として機能し、
子供たちの成長を見守り、世代をつなぐ役割を担っていた。
外部空間も生活の場とし、
外部に開かれた生活の延長に集落のコミュニティーがあり、
人と人との関わり合いが生まれていた。

沖縄の人々の生活には、
古くから自然を受け入れ共に生きる姿勢があり、
外部での生活を楽しんできた。
しかし今日では、
人工的な空調設備に頼った自然との関わりや、
人と人との関わりを全く遮断するような住まいや施設が増えている。
高気密化された箱の建築は都市のヒートアイランド化、
シックハウス症候群という病を引き起こした。
また、合理化を追求するゆえ子供のための施設、
老人のための施設というような分化もおこっている。
物質の豊かさのみを考えた施設のあり方は空間を分断し、
内外の遮断だけでなく世代を超えたコミュニケーションや
地域とのつながりまでも分断してしまっている。
空調設備などない時代、
沖縄の暑い夏をしのいできた先人たちの「涼しく住まう工夫」
を忘れてしまった故に生じた住まいの環境問題と社会問題まである。

映画のクライマックスに結婚式がナーで行われ、
集まった親戚、友人、地域の人々が、
子供も大人も入り乱れて乱舞するシーンがある。
思わず体が動き出してしまう衝動に駆られる。
とても豊かな光景で人々の力強さを感じる。
これこそが沖縄の魅力である。
沖縄の風土と建築を作り上げているのは、この豊かさなのだろう。

 

ある仏師のこと。
仏を彫ろうと材を探しに出た。
山道を歩きながら、何千本もの木を見ること数年が過ぎる。
やっと出会えた理想の材を手にした仏師は、
きちんと製材してもなお、
彫ることを始めようとはしなかった。
理想の材の中に、そこに住む仏の姿が見えるまで、
手にすることなく材をじっと見続ける。
時が過ぎ、彫り上げられた仏の姿は、
多くの人の心に宿る像となった。

ある陶工のこと。
一枚の大皿を創ろうと土を探しに出た。
創らんとする大皿の絵を常に頭の中に描きながら土を探す。
ひと山、ふた山越えても土を探す歩みをやめなかった。
訪れた場所でさまざまな土を手にし、練ってみる。
少しずつ、思い描く大皿へと近づいていくのだった。

“材”を選ぶ確かな目と“つくること”への深い思い。
創り上げることの悦びを知る職人たちの確かな技術は、
長い時の間に脈々と受け継がれ、一つひとつの匠の技は、
“よきもの”として人の間に生きてく。

流れる時代に存在し続けるもの。
“確かな目”と“確かな技術”で生み出された“よきもの”。
人が過ごす場所は、世代の時が流れる場所だからこそ、
細部にわたり多くの匠が生かされた
“よきもの”であり続けたいのだ。

 

「島ー見ぃらんなとーしが!」
と叫びながら、この世を去った建築家がいた。

それ以降、私自身“沖縄とは何か?風土とは・・・”
そう意識しながら、ものづくり(建築)に携わってきた。

赤瓦や石積みといった素材を使うだけが、沖縄風の建築とは毛頭思わない。
しかし、昨今のコンクリートやガラス・金属で構成されたシンプルな箱の建築で、
この暑い沖縄で快適に住まうことができるだろうか?

涼を呼ぶ空間づくりを忘れ去り、 人工的な空調に頼りすぎてはいないだろうか?

強い日差しを和らげ、涼しい日陰をつくり出す雨端があり、
内部空間と外部空間が同化し風を呼び込む。
こうした工夫を凝らした住まいは、
今で言うならば
“沖縄”という場所・地域性を熟知した、「環境共生住宅」だった・・・・・・!

振り返ると、島の素材にこだわり“沖縄の建築”を考え続け、
人間らしさの感じられない無味乾燥な周りを見渡し、「これでいいのか?」
と問いかけてきた10年でもあった。

改めて冒頭の師の声が聞こえてくる。

彼の危惧していた、場所性の喪失。
私たちは、より一層進むであろうこの風潮を横目に、
先人たちの知恵を借りながら
“ここ(沖縄)にしかできない新しい建築”
を提案していきたい。

 

 

鉄筋コンクリート造の建物では、
日中の強い日差しによって蓄えられた熱が室内に放射され、
夜になっても常に室温の高い状態が続く。
亜熱帯の沖縄において、建築を考える上で熱対策は重要である。

沖縄の民家に見られる在来瓦には、
その凹凸で作り出す陰の気化熱作用により熱を奪う働きがあるという。

深い庇同様、強烈な太陽の下、いかに陰を作り出し、
涼しく住まうという先人たちの知恵をみることができる。

こうした先人たちの精神を、現代建築においても涼しく住まうため、
壁面緑化や花ブロックのスクリーンなど、
日差しを遮り、陰を作り出す“外皮”としてデザインし、
伝統として引き継いでいくことが大切である。

 

かつての民家の配置をみると、
門の前に絶妙なバランスでヒンプンを配置することにより、
外部の視線を遮り内部空間をナー(中庭)へ開放していた。
ナーは日常生活において作業の場であり、祝事などには客席の役割を担った。
こうして常に戸が開かれ、自然の風が流れ込む環境は、
亜熱帯の風土ならではの防暑として機能していた。

このことは、現在社会問題となっているシックハウス症候群にも
「自然換気を促す」という点で有効といえる。

建物を外壁一枚で内と外に隔てるのではなく、
ナーのように外部でありながらも内部的な
“中間領域” を作ることで、内部空間はより広がりを持ち、
光と風が流れ込む豊かで健康的な住まいとなる。